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シーシュース(''HMS Theseus'')はトーマス・スレード設計のカローデン級74門3等戦列艦。1786年9月25日にブラックウォールで進水した〔Lavery, Ships of the Line vol.1, p180.〕。 == 戦歴 == 1797年、ホレーショ・ネルソン少将の指揮の下、失敗に終わったテネリフェ島サンタ・クルズの戦いに参加。その戦闘において、シーシュースに乗艦していたネルソンはマスケット銃の銃弾を受け、右腕を切断することとなった〔Mostert, TLUAW p221〕。 1798年には、ラルフ・ウィレット・ミラー艦長の指揮下、イギリスの完勝となったナイルの海戦に参加した。イギリス海軍は、118門艦ロリアン(L'Orient)をはじめ、80門艦3隻、標準型の74門艦9隻を要したフランス艦隊に対し、少なくとも火力において劣っていた。イギリス艦隊の戦力は、74門艦13隻、50門4等艦1隻であった〔Mostert, TLUAW p266〕。 海戦において、シーシュースは、戦列艦ゴライアスとともに、複数のフランス軍艦に攻撃されていたアレグザンダーとマジェスティックを支援した。それらフランス艦のうち、フリゲート・アルテミス(Artémise)は降伏したが、乗組員は艦がイギリスの手に落ちるのを妨げるために船に火を放った。他の2隻のフランス艦ウールー(Heureux)とメルキュール(Mercure)は座礁し、シーシュースを含む3隻のイギリス軍艦との短い交戦の後、降伏した〔Mostert, TLUAW p267〕。 この戦いは、イギリス海軍の完勝であるとともに、ネルソン提督の名声を決定的なものとした。エジプトを侵攻し、さらにはイギリス領インドをも脅かそうとしたナポレオンを支える立場にあったフランス海軍にとって、この敗北は壊滅的であり、これにより、エジプトのフランス陸軍は全く補給なしと言える状態に置かれることとなった。人的損害も甚大であった。フランス艦隊は1,700人以上の戦死者、600人以上の負傷者を出し、さらに3,000人が捕虜となった。それに対しイギリス側の戦死者は218人、負傷者は677人であった。9隻のフランス軍艦が捕獲され、2隻が破壊された。他にかろうじて2隻の軍艦が逃走に成功した。シーシュースの損害は水兵5人の戦死、士官1人と海兵隊員5人を含む30人の負傷であった〔Mostert, TLUAW p268〕。 1799年にはアッコ攻囲戦に参加した。 1809年にはバスク・ロードの海戦に参加した。コクラン卿はその攻撃目標である停泊中のフランス艦隊を混沌させるため、焼き討ち船や爆弾船による大胆な攻撃を仕掛けた。多くのフランス艦がこの攻撃に慌てふためき、陸地に乗り上げた。 1814年、シーシュースはイギリス海軍の数々の華々しい勝利を含む長くかつ多彩な戦歴を終え、チャタムで解体された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シーシュース (戦列艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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